屍者の帝国(伊藤計劃・円城塔/河出書房新社)

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伊藤 計劃と円城 塔による合作というロマンティックな背景

一つの物語として非常に高いレベルで成立している伊藤 計劃と円城 塔によるロマンティックな合作(途中で遺志を引き継いだとはいえ友情だけでは語り得ないサーガがあるように思える)。人間は年表のような記録ではなく、記憶として、つまり物語として存在しうる一方、その物語は容易に書き換えられてしまう。 全てが効率化を求め、死者を屍化することにより記号化され道具として扱われる屍体は、まさに現在の経済を表現している。
死してもなお道具としての存在として、現代のロボット技術のように使われているパラレルワールドにおいて、「私の中のわたし」「自我の中の他我」の真実を追い求めてワトソン博士は世界をめぐる。 様々な人物のオマージュと共に、自分が自分であることの証明を探す旅はある段階で一旦終わりをみるが、さらに続いていく。

「本当の私」は「私」にも判別がつかない

「本当の私」は「私」にも判別がつかず、他者と比較しても無理。確かに息づいている身体と心は全くの別物であり、身体は魂の容れ物に過ぎないが、容れ物なしに魂は存在しない。
せめて自分のつむいだ言葉だけは、記録として記憶に残され、物語という形式をもって語られることができるだけでも、幸福なことなのかもしれない。
ただ、ここまで皆深く人生を考えているかというと、それは稀有なことであり、おそらく80%以上の人は(自分も含めて)、昨日も、今日も、明日も対して変わらない生活を送っているのだろう。

全てのものがもつ言葉の力

全てのものがもつ言葉の持つ力に感染症と同じ効果を見出し、畏れ、その力を表現しきるこの本は、0年代のSFというよりも、新しいジャンル(「未知との遭遇のような)を切り開き、次の世代へと受け継がれていくのだろう。 難しい言葉を簡単にし、簡単な表現を難しくし、結果読みづらさを少し助長することになると思うのだが、非常に魅力的な小説だった。

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