走ることについて語るときに僕の語ること( 村上春樹/文藝春秋)

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どうして村上春樹の読み物は、村上春樹なのか

これは別にマラソン本で、走ることは素晴らしい(もちろんそうだが)と語っているものではない。 走ることを通じて、彼が本能と経験を通じた考えが書かれている本だ。
そういう意味では、彼がこの本で書いてあるとおり、エッセイではなく、メモワールという表現がぴったりなのだろう。(ジャンルでわけることはあまり意味が無いが)

タイトルだけで「走ること」について書かれていると勘違いしている人も多いと思う。 僕も実は、最初そうだと思いなかなか読もうと思わなかった。
ただ一つ読み始めると、走るというシンプルな活動から見出される、そして彼のシンプルな考え方から 本当に私達の人生に役に立つ普遍的なアドバイスに満ち溢れていることにすぐに気づく。
それをたくさんの比喩を使って、一生懸命に、そしてクールに説明してくれる。どうして村上春樹の読み物は、村上春樹なのか、ということが読むとどんどん分かってくる。

この本は、おそらく手垢がつくほど何度も読むことになるだろう

僕は別に、村上春樹の本が全て好きなわけではない。
偏愛に近いものもあれば、途中で飽きて義務的に読んだ本もある。
ただ、この本に関して言えば、おそらく手垢がつくほど何度も読むことになるだろうし、
ずっと持ち続ける本になるだろうと思う。
それは、彼の本を読み出して約20年たち、変な親近感を持っているからかも知れないし、
僕が彼の2/3の人生を過ごして、この先のことを考えて弱気になっているから
先達の言葉が欲しかったからかもしれない。
ただそうだと全てを認めたとしても、この本が素晴らしいのは何一つ変わらない。

I will always stand on the side of the egg.

閑話休題。彼の価値観は、まるで絞りを開き撮る写真のように一定の空間軸に或る。
あとはその手前にあるか、奥にあるかであり、感じているよう。 空間軸の手前にあるものを愛す。 エルサレム賞のスピーチでもあった
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”はそれを表現しているし、一番近くにあるのは読者であることは間違いないだろう。

そっと「彼の価値観」というレンズを通した世界を覗くだけ

我々はこの本を通じてすべきことは、彼のカメラのファインダーに目を近づけてそっと彼の価値観というレンズを通した世界を覗くだけでよい。 そうすれば、彼が本能で感じたこと、経験したことにより学んだことを きっと少しは感じることが出来るではないだろうか

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